読む日々、書く日々

人生の折り返し? まだまだこれから! 読んで、書いて、楽しもう♪

涼しくなってきたので

気温が32℃を超している日に外出すると、どれだけ対策をしていても、かならずあとで頭痛が起こります。

医者にかかるほどではないのですが、夏のあいだはほとんど外出ができませんでした。

 

そこで、運動不足の対策として、毎日スロースクワットをしていました。

Youtubeで4分ほどで完了するちょうどいい動画を見つけたので、それに倣って運動したのです。

おかげさまで、体重が増えずにすみました😊

減ってもいませんが、それは仕方ない。

ほんとうにめったに出かけませんでしたので……😓

 

涼しくなってきたので、頃合いを見て、ウォーキングを日常に取り入れようと思います。

夏に動かなかった分を、秋で取り返す!

 

問題は一日のうち、何時ごろウォーキングに出かけるか、です。

一日のうち、ウォーキングに出かけられる時間が、あんまりなさそう……

フルタイムで働いていたときは、自由になったら時間がたくさん確保できると信じていたのに。

自由になった現在なのに、時間があんまり確保できていないというのは、なぜなのか?

いつも首をひねっています。

毎食の支度+家事をこまごまをしていると、時間なんてあっという間、ということでしょうか。

 

うまく時間を見つけて、ウォーキングを習慣化したいところです。

ついでに、ブログのネタも拾ってこれるといいなー🙂

 

 

 

お題 #あの店員さんがすごい

20年前のこと。

商店街でぼーっと信号待ちをしていました。

東北の風土に惹かれて、関東から引っ越してきて、一年たっていました。

しかしそのころは、仕事も人間関係もうまくいかず……

前に住んでいた土地がことさら良く思われて、引っ越してきたのは間違いだったかなーと思い始めていました。

 

月曜日からの仕事は行きたくないなあ、と思って青信号を待っていたところ、背後のお店の引き戸が、ガラッと開きました。

なんだ、なんだと思っていたら、中から出てきたお店のご主人が、わたしに言ったのです。

「お姉さん、ここの信号は押しボタン式だから、ボタンを押さないと信号変わらないよー」

お恥ずかしい、そのとおり。

しかしぼーっとしているあまり、気づかなかった。

同時に、びっくりしました😮

長時間待っていたわけではなかったのに、お店のご主人は、店内から見たわたしを心配して、わざわざ出てきて、代わりにボタンを押してくれたのです。

 

そして、思い出しました。

そもそも「東北いいなあ」と思ったのは、都会にはない素朴な温かさがあるからでした。

関東ではみんな忙しくて、わざわざ顧客でもない人のために、店からでて世話をしてくれるひとは少ない……

そして反省しました。

いまの仕事も人間関係もいいとはいえないけれど、自分から進んで馴染もうとしていなかった面もあるかもしれない。

それに、たまたま会社のアタリが悪かった、というのもあるかもしれない。

小さな一点だけを見て、全体を見た気になって、「引っ越してこなければ」と思っていたのは、了見が狭かったかも。

 

次いで、思いました。

このお店で、いつか買い物をしよう、と。

 

そのお店は個人経営の家具屋さんでした。

ご主人に信号の押しボタンを押してもらってから半年後。

同じ町内で引っ越すことになったので、ベッドを買いました。

量販店とくらべると、ややお高いものとなりましたが、それでも、まったく後悔はありません。

初心を思い出させてくれたご主人に、ささやかながらお返しができたかな、と思っています。

いまも、そのベッドを使って、毎日眠っています😴

 

この話を同じ東北のひとにすると、

「そんな親切な店主がいるんだ!」

と驚かれます。

東北のひとにかぎって、意外と東北のひとの良さを知らないことが多かったりして、灯台下暗しかなあ、と思います。

 

 

伝書鳩だったことがある話

数年前まで「楽しかった想い出」が、いまになって「怖い想い出」に変わっています。

 

千葉県にある、共学の県立高校に通っていました。

自由な校風の学校だったので、のびのびした高校生活を送れていたと思います。

3年生になったわたしは、同じクラスのRちゃんという女の子と仲良くなりました。

Rちゃんはとっても明るく気さくで、おしゃれな女の子。

ちょっぴりオタクで、よく漫画の話で盛り上がっていました。

 

一時期、そのRちゃんに頼まれて、伝書鳩になっていたことがあります。

となりの1組の担任のA先生に、Rちゃんからの手紙を渡すのです(わたしたちは2組でした)。

90年代の女子高生らしく、手紙はルーズリーフを花や船などに模して折ったもの。

中に何が書いてあるのだろうと疑問に思いつつも、頼まれたからにはと、せっせとA先生に手紙を運んだ伝書鳩

 

Rちゃんに、どうして自分で渡さないのかと尋ねたことがあります。

噂になるといやだから、というような答えを聞いた記憶があります。

わたしが誤解されて噂の対象になったらどうしてくれるんだと冗談で言ったところ、Rちゃんは、

「あなたは誤解されるキャラじゃないから大丈夫」

という、微妙な返事をされました。

 

いま思うに、Rちゃんが言った通りで、わたしは高校三年生にしては幼かった。

男っ気がゼロでして、いつも馬鹿話ばかりしていたので、恋愛感情も持たないような女の子と思われていたのかもしれません。

しかも、その学校のなかでは数少ない進学組だったので、先生たちと接触する機会も多かった。

「あの子なら、率先して先生に質問に行きそうな子と、周囲から見られるだろう」

という、Rちゃんの計算があったのではないかと。

 

このA先生、もっさりした三十代前半のオタクっぽい社会科の先生で、ちっともイケメンではありませんでした。

個人的に手紙を渡すくらいだから、RちゃんはA先生に特別な感情を持っていたはず。

しかし、どこが良かったのか、いまもってさっぱりわかりません。

授業も面白くなかったと聞いたことがあります(わたしのクラスの教科担当ではなかったので、授業を受けたことがない)。

そもそも、A先生とRちゃんと、どこで接点があったのかも、いま振り返るとわからない。

 

くりかえしになりますが、共学の学校でしたので、同学年でかっこいい男の子はいっぱいいました。

男女交際にうるさい学校ではなかったので、おしゃれでかわいいRちゃんがその気になれば、年の近い彼氏が出来ていたはず……

 

しかし、当時はそんなことに思いも至らず、むしろ

「友達から信頼されている自分、すごい」

と思って、なんにも深く考えず、伝書鳩になりきっていました。

 

わたしが手紙を渡しに行くと、A先生は表情を変えることなく、「ああ」とか「んー」とか言って受け取りました。

手紙を渡す場所は、体育館の裏とかではなく、みんなの目のある廊下です。

ほかの先生がいないときに、

「せんせーい、これー」

と普通に渡していました。

おそらくですが、あんまり堂々と渡していたので、ほかの生徒も、なんだろうあれは、と思っていなかったようです。

悪い噂は流れませんでした。

 

しかし時を同じくして、Rちゃんの肌に異変が起こり始めました。

思春期というのもあったのか、ひどい肌荒れが起こるようになってしまったのです。

心無い男子が肌荒れについて、ひどいことを陰で言っていることもありました。

Rちゃんは浮かない顔をすることが増えました。

そして、そのひと月くらいのあと、わたしの伝書鳩としての役目も終わったのです。

 

RちゃんとA先生のあいだに亀裂が入ったのかもしれません。

いや、そうではなく、Rちゃんはもっと優秀な伝書鳩を見つけたのかもしれない。

いま思えば、あんなに仲良くしてくれた子に対して、関心を持たなさ過ぎたなと反省しきり。

このふたりが結局どうなったのか、ほんとうにわからないのです。

 

わからないまま、わたしの脳には、

伝書鳩として勤めを果たした。感謝されて嬉しかった想い出」

としてこのエピソードは記録され、そのまま卒業。

のんきなもので、この想い出はしばらく頭の中の「楽しかった想い出」フォルダーに入っていました。

 

ですが、時代が下り、この想い出の恐ろしさに気づきました。

A先生は独身とはいえ教職者。

じつはRちゃんに手を出そうとしていたロリコン教員だったのでは……??

いや、そうではなく、RちゃんがA先生に猛アタックをしていたのかもしれないけれど、そうだったら、手紙の受け取りを断ればいい。

チャンスはいくらでもあったはず。

手紙と言っても、手のひらサイズの小さなメモのような手紙でしたから、深刻な内容のものではなかっただろうけれど……

いや、待て。

中身が、こっそり会うための合図を送る手紙だったとしたら?

責任重大!

うわー、手紙なんて渡すんじゃなかった!!

いまとなっては、だれに謝ればいいのやら。

 

卒業後のRちゃんの進路、いまとなってはおぼろげにしか覚えていないのですが、たしか専門学校へ行ったはずです。

共通の友達からの情報で、早くに結婚したということですが、相手がじつはA先生だった、ということは……ないと思うのですが、真相はやぶの中。

 

というのも、Rちゃんの家のある町と、わたしの家の町は2つの町をはさんでの距離で、卒業後の彼女の消息はうわさでも聞こえてきません。

しかも、うちの高校は、なぜか同窓会をする習慣がなかった。

卒業後に担任の先生から、

「仲良かった子だけ呼ぶのでもいいから、おまえが幹事になって同窓会を仕切れ」

と言われたこともあるのですが、結局、仕事が忙しすぎて、何もできず(先生、ごめんなさい)。

さらには、千葉から引っ越してしまったので、うわさもなにも、まったく届かない。

そういったわけで、Rちゃんの消息はわからないでいます。

当時はスマホがなかったので、手紙と電話以外の連絡手段もなかった。

電話代、高かったので、めったに電話できなかったですし……

 

ひとつはっきりわかっているのは、わたしはRちゃんの傍観者でしかなかったこと。

人間関係には踏み込んじゃいけない線があるにしろ、Rちゃんのためを思うなら、A先生への手紙を渡すべきではなかった。

もっと、この手紙の意味について聞いてみればよかった。

そこにまったく思いが至らず、ただ、信頼されたと喜んでいた。

そのため、Rちゃんの苦しみにも気づかなかった。

A先生の問題点にも気づかなかった。

なんという幼さだったんでしょうね……

そして、最近までそれに気づいていなかったおそろしさ。

伝書鳩なんて、やるんじゃなかった。

反省、反省、大反省です😥

 

せめて思うのは、今現在、Rちゃんが素敵な人生を送っているといいなということです。

 

人生って、こうしてさまざまな解決されない謎を含んで進んでいくんだなあ……😔